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ソフトウエアのこととか

プリキュア映画をみた気持ち

忘れないうちにプリキュアの映画の話を書いておく。 これを見たとき絶望感で一杯になってしまった。 www.precure-movie.com

この物語のあらすじ

HUGっとプリキュアのキャラクタたちが謎のおばけ「ミデン」に襲われるところからこの物語はスタートする。 そのおばけはプリキュアから思い出を奪ってしまい、思い出を奪われたプリキュアは昔の記憶を失い幼児形態になってしまう。 ミデンは自分の世界にキラキラの思い出を積み上げ、満たされた顔をしたと思ったらつまんない、まだ思い出が足りないんだ!といって次の思い出を奪いに行く。

ミデンの正体は昔に発売されたフィルムカメラである。 発売されたがとくに使用されることもなかった名機らしく、長い間自分の中身は空っぽで孤独を味わったらしい。 その孤独を埋めるために他の人のキラキラを自分の世界の中にいっぱいにしようとしているらしい。
(この辺の設定は記憶で書いているので間違っているかもしれません)

戦いながらキュアエールは他人の記憶を奪っても満たされないよ、と正論を言う。 彼はその言葉に苦しむ、が別に手を止めたりしない。どうせ彼の中は空っぽなのだから。。。

最後はプリキュアがみんな復活し彼と戦うが、キュアエールだけは彼を救おうとする。 彼にこれからでも思い出は作れると言い聞かせ、なだめる。 最後ははなちゃん(キュアエール)がカメラのミデンを使って写真をとるところで未来を暗示させて終わる。

苦しみ

今回の映画では他の人にほっとかれて空っぽだから、と暴れたのが非生物であるので なんかそれっぽい幸せなエンディングになったのですが、これを生身の人間に置き換えてみたら地獄みがあふれました。 私にはこれが人間が高齢化して誰も相手をしたくないんだけど、迷惑をかけてくる話に見えました。

老害(ここでは実際に害を与えてくるのでこの語をつかいます)が自分を満たすために社会に害を与えてくるとき、 どうすれば良いのかという話です。

彼らは社会から無視されているので他の人に迷惑をかけるな、というのは社会に関わるとなというのと等しい行為で そんな残酷なことを要求することはできないでしょう。彼らは孤独で大切なものもないので別にそれを感情に訴えかける こともできません。むしろ害を与えて自分を満たすという行為が生きる上で重要な行為にになっています。

未来があるからこれから良くできるよ、というHUGキュアたちが行った説得も意味をなしません。 彼らは老いており未来がないからです。 未来がない者たちをどんな風になだめてあげればよいのでしょうか。

一つは無理にでもしょうがなく彼らの欲求に付き合ってあげることです。 しかしプリキュアたちが付き合って思い出を作ってあげても、人間は言葉も話すしなにか他人に影響を与えます。 老害はいるだけで周囲を不快にしていくことが古びたカメラとの違いです。 これはずっとは続かないでしょうし若者の未来を食いつぶして老人をなだめるというのも不幸な話です。

一つは化物を救う方法はないとその行為を諦めて物理的に排除してしまうことです。 これはキュアエール以外のプリキュアたちが行おうとした行為そのものです。 カメラのミデンにあたる人以外はこれでハッピーです。

私はこの映画をミデンは未来の自分だなと思いながら見ておりました。 プリキュアたちの未来があるからこれから幸せになれるよ、というのは幸せなサイドに居る人達の暴力的な押しつけだなと思いました。 正義の味方の正義というのはいつも暴力ですね。